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ある修習生からのメール(2)

2017.04.09

 

 昨日からの続きです。
 重複になりますが、修習生のメールを再度貼り付けます。

       記 
(引用始め)
「 法科大学院で学んでよかったことを突然に尋ねられた際、すぐに胸を張って言えることがないことに気づき、法科大学院の存在がただただ時間と費用をかけて司法試験の受験資格を得るためだけに行っていたと感じました。
 法科大学院でも本当に良い授業がたくさんあったのですが、司法試験という壁が先にある中でうまく利用できず、実務との懸け橋となるはずの法科大学院の役割が大きく理想とかけ離れてしまっていると今、どうしたら法曹界に多様な人材が志望して魅力的な世界になるのか考える機会になりました。」
(引用終わり)

 もちろん法科大学院修了生の中にもさまざまなご意見はあるでしょうが、少なくともこの修習生は、法科大学院の存在意義について質問者の要求に応えようと法科大学院の良いところを絞り出そうとしたようですが、冷静に振り返ってかんがみるに、司法試験の受験資格を得ること以外法科大学院の存在意義を見いだせなかったようです。

 また、この修習生のメールからわかることは、法科大学院の理念と実際に齟齬が生じているということです。
 これは、もともと法科大学院の理念に無理があったのですから、当然予想され、我々が批判してきた部分で、やはりそうだったかという印象を受けます。

 それ以上に、この修習生のメールから感じ取れることとしては、司法試験に合格してもなお、また、司法制度改革についてのブログ等を見て意識が高く、賢明な修習生でも、法科大学院の制度自体について深く考えないようにしているのではないかということです。

 それは、やはり自身が費やしたお金や時間や労力、なんといっても自分の青春を否定的にとらえることができないからではないかと思うのは、うがった見方でしょうか。

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