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法律新聞「日弁連の会務執行方針に物申す」その3

2015.05.28

 

平成27年5月22日付「法律新聞」(第2094号)武本夕香子「 『日弁連の2015年会務執行方針に物申す』

「2 「2 現実を踏まえて着実な改革を進める」について
 会務執行方針「基本姿勢」第2項では、
「日弁連は数多くのプレイヤーの1人に過ぎません。日弁連の見解が常に正しいものとして受け入れられるわけではありません。少数意見にとどまることの方がはるかに多いのです。そうした中で日弁連の主張を最大限実現するためには、孤立を回避することが不可欠であり、独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません。」と記載されていますが、前述したとおり、この会務執行方針には賛同できません。

 また、
「日弁連は数多くのプレーヤーの1人に過ぎない」とのことですが、日弁連の発言力は大きいものがあります。だからこそ司法改革により、弁護士自治と弁護士制度の弱体化があらゆる側面から画策されたのです。
日弁連の発言力が大きいからこそ、政府の審議会の委員に日弁連以外の委員をして多数を占めさせ、日弁連の発言を可能な限り封じようとしているのです。
日弁連の発言や行動に対し快く思っておらず、従って、日弁連の発言力を過小評価したい勢力が存在することは確かでしょう。
しかし、だからといって、日弁連自身が「常に正しいものとして受け入れられるわけではありません。」などと卑屈になるべきではありません。

 また、日弁連の発言力が大きいか否かとは関係なく、日弁連は、「正義」に叶った日弁連の見解が正しいものとして受け入れられるように努力し続けるべきです。

 すでに論じたように、日弁連が主張する「正義」が、市民に受け入れられないことを理由に弁護士会が「正義」を叫ぶことを止めるわけにはいかないのです。
日弁連の見解が市民に受け入れられないからと言って間違った政策に一旦賛成してしまえば、なかなか反対の方向に舵を切ることができなくなってしまいます。
今の日弁連が過去の歴史にこだわり、司法改革を抜本的に是正することができなくなってしまっているようにです。

 弁護士会が弁護士としての社会的使命を果たすためには「独りよがりや原理主義と批判される」といった評価を恐れて弁護士が言うべきことを止めるのではなく、弁護士が「正義」と信じて主張している内容について「独りよがりや原理主義と批判」されないように市民の理解や信頼を獲得すべく、あるいは、誤解を正すべく努力し続けるのが本来あるべき姿なのではないでしょうか。

 第2項には、引き続いて
「司法と日弁連の歴史に思いをいたし、経緯と情勢そして現実を冷静に見極め、説得力のある最善の主張を展開することにより多くの人々の理解を得、力を合わせて改革を着実に前進させることが大切です。」
と記載されています。

 この部分にも賛同できません。
まず、「日弁連の歴史に思いをいたし、経緯と情勢そして現実を冷静に見極め」ていたのでは、過去の司法改革の失敗を上塗りすることになってしまうからです。
日弁連が司法改革を先頭に立って旗を振ってきた過去がある以上、日弁連の過去の歴史にとらわれていたのでは、抜本的な見直しなど実践できるはずがありません。
情勢と現実にとらわれていたのでは、日弁連が司法改悪を正すことに躊躇を覚えるだけで、とても見直しなどできません。

 弁護士会にとって重要なのは、監督官庁を持たない唯一の民間法律専門家集団として、基本的人権を擁護し、社会正義を実現する使命を負う法曹として、司法制度をあるべき姿にし、市民の利益や幸福を目指して発言し行動することです。
日弁連が他者から見てどのように見えるかとか、日弁連の過去の歴史などは、日弁連が行動を決める上では、最も劣後する価値基準なのです。

もっとも村越会長は、この文章の結語に「力を合わせて(司法)改革を着実に前進させることが大切です」と記載しているのですから、この期に及んでも司法改革を進め、司法改革の見直しや是正など考えていないのかもしれません。

 つまり、第2項は、「司法と日弁連の歴史」や「経緯」があるし、多数派の顔色も見なければならないという「情勢」や「現実」もあるから、正しく議論して理論的・実証的に説得することはできないけれど、ともかく執行部の意見に賛成しろという意味にとられかねないと思います。
理論的・実証的に議論して勝てれば、歴史や経緯などは問題にならないからです。
このように受け取られる表現は避けるべきであったと思います。(つづく)

  
                                  

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