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法律新聞「日弁連会務執行方針に物申す」その2

2015.05.26

 

平成27年5月22日付「法律新聞」(第2094号)弁護士武本夕香子「寄稿 『日弁連の2015年会務執行方針に物申す』より引用


「 そもそも弁護士の使命は、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現」することです。
弁護士法第1条にそう書いてあるのです。
従って、弁護士は、「正義」を声高に主張しなければなりません。
その弁護士の団体である日弁連が、「市民の理解と信頼を得ることができそうもない」と他人の顔色を見て「正義」を引っ込めるのでしょうか。日弁連は、当面は理解が得られなくとも、それが「正義」であるなら弁護士の先頭に立って市民を説得すべきだと思います。

 司法は、立法や行政といった多数決支配から零れ落ちたマイノリティの人権を擁護するためのシステムです。その意味で司法は、多数決支配から最も遠い存在であるべきなのです。仮に、司法が「市民からの理解と信頼を得られない」と言って「正義」を声高に叫ぶことをやめてしまえば、司法が司法としての機能を果たすことはできません。
多数派の声は、もともと立法や行政により反映され得ます。三権分立により、司法には、多数派支配の立法・行政に対して抑止的効果を働かせることが期待されています。
にもかかわらず、司法までもが市民からの批判を恐れて多数派支配の結論に迎合的になってしまえば、司法が司法機関としての役割と三権分立の機能を果たせなくなってしまいます。

 司法というのは、社会正義と基本的人権の擁護のみを声高に主張し、その結果、多数派支配から孤高する存在となったとしても、また、いかなる批判に晒されたとしても、社会正義の実現と基本的人権を擁護するための最後の砦としての役目を果たさねばなりません。

 仮に、努力しても「正義」と「市民の理解」の二兎をどうしても追えない場合、司法制度の役割からして、弁護士会にとっては、「正義」を追求することの方が大事です。
つまらない右顧左眄は、日弁連と弁護士の存在意義をなくしてしまうでしょう。

 このように第1項は、正面から議論しても、全く納得のできない方針なのですが、さらに問題と思われるのは、誹謗中傷とも受け取れる内容を同項が含意することです。

 議論の中に、「井戸やコップの中のような議論」と、そうでない正しい議論の区別を持ち込む。正義に、『自分たちだけの「正義」』とそうでない本当の正義の区別を持ち込む。
そうした場合、誰がこの区別をするのでしょうか。
1万1676名もの票数を獲得した人であれば、その区別ができると言いたげな内容です。
こういう曖昧な区別は、恣意的に使用して相手を指弾できる点で便利ではありますが、非常に危険な考えと言わざるを得ません。
「井戸やコップの中のような議論」や『自分たちだけの「正義」』という誹謗中傷のレッテル貼りに利用できるからです。

 また、そもそも、「井戸やコップの中のような議論」、『自分たちだけの「正義」』などということを日弁連の会長が書くことは適切ではないと思います。
それでは、村越会長が、どこかに「井戸やコップの中のような議論」をする会員や『自分たちだけの「正義」』を声高に叫ぶ会員がいると考えていると受け取られても仕方ないからです。

 私は、皆さん正当な議論であるとの信念を持って発言され、市民のためを思って「正義」を訴えておられると思います。村越会長もこの考えにご賛同いただきたいと考えます。
弁護士会の会長が、「井戸やコップの中のような議論」と書くことは、当然議論の抑制につながり、この方針の「おわりに」第1項で書かれている理事会における議論の充実の妨げになります。
また、日弁連の会長が、『自分たちだけの「正義」』を声高に主張すればよいというものではないと書けば、それは日弁連の行動を越えて全ての弁護士の「正義」の主張に抑制的に働きかねないと思います。」(つづく)

添付資料添付資料を見る(PDF: 1827 Kbyte)

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