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「実のある司法改革に取り組め」?!

2012.05.05

 

 今日の読売新聞に、「実のある司法改革に取り組め」と題するいい加減な社説がまたまた出ました(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120505-OYT1T00938.htm)。

 まともに取り上げる価値もない内容ですが、この2ヶ月間、ブログ更新を怠っており、今月はブログ更新強化月間と決めたことから取り上げることにしました。

 この社説は、「実のある司法改革に取り組め」との題名からして、司法改革推進のために書かれた文章であることがわかります。
 司法改革の中身が悪い場合、その司法改革を「実のある」ものにするべきではありません。
 弊害ある司法改革を更に「実のある」ものにすれば、社会は益々悪くなるのですから。

 司法改革の中身を検討することもなく、内容の説明をすることもせず、あたかも司法改革が素晴らしい内容であるかのごとく、それが当然の前提として論が進みます。
 マスコミは、いつもこうしたイメージや雰囲気だけで「司法改革」があたかも善良な内容であることを読み手に擦り込むのです。
 イメージや雰囲気だけなので、明確な反論がされにくいのも、この手の擦り込み記事の特徴で、非常に卑劣で、かつ、悪質です。

 この社説には「無派閥の宇都宮健児氏に主流派閥が推す山岸氏が挑んだ。」「激しい選挙戦となった。」「だが、内輪の対立にエネルギーを費やしている時ではあるまい。」と書かれています。
 しかし、日弁連会長選挙は2年に一度の選挙であり、日弁連や司法制度の舵取りをする人物を決める極めて重要な選挙なのです。
 このように会長選挙の行く末が今後2年間の弁護士会のみならず、司法制度や社会の行く末を決めるのですから、熾烈な選挙戦を展開するのは、むしろ弁護士の人権擁護・社会正義の観念に沿うのです。
 それをして「内輪の対立」などと故意に問題を矮小化するのですから、この記事にはきわめて悪意を感じます。

 しかも、終いには「将来、同様の事態を繰り返さないために、選出方法を再検討してはどうか。」と結ばれているのですから、弁護士自治をどのように考えておられるのか社説論者の常識を疑わざるを得ません。

 例えば、読売新聞の内紛がマスコミを賑わしたのは記憶に新しいところですが、「このように問題が山積している中で内輪の対立にエネルギーを費やしている時ではあるまい。」「ワンマン会長の権限が未だ強力に残っているから、いけないのだ。」「会長や社長の選出方法を再検討してはどうか。」と言われたら、どうでしょうか。

 記事の中には「日弁連は法曹三者の一翼を担っている。求められるのは、司法制度改革の実をあげるための取り組みである。社会の仕組みを事前規制型から事後規制型に変えていくうえで、法曹人口の大幅増は、司法制度改革の主眼だった」とあります。
 マスコミお得意の擦り込み記事の真骨頂が発揮されています。
 あきれるのを通り越して、もう失笑するしかありません。

 社会を事前規制型から事後規制型に移行させることにより、社会の中に様々な歪みを生み出し、大多数の国民が不幸になっていることを目の当たりにしても反省の色どころか、当否を検討しようとする態度など微塵もありません。
 
 まともな人であれば、マスコミの報道など相手にしないでしょうが、私が非常に気になるのは、マスコミが日弁連の選挙規定に口出しをしてまで何故に主流派閥の肩を持つのかということです。

 日弁連会長選挙に3分の1ルール(得票数で多数を取るだけでなく、全国52単位会のうち3分の1以上の単位会で多数を取ること)が存在しているのには、それなりの理由があるからです。

 しかし、主流派閥の弁護士にとっては、3分の1ルールが存続しているが故に2年前に宇都宮氏に破れ、今回も再投票、再選挙と大変な思いをしたことから、この3分の1ルールを苦々しく思っているはずです。
 それを改変する理由として、この社説が利用されるのは間違いありません。
 

 そうです。

 山岸氏がこの2年間の在任中に日弁連会長選挙のこの3分の1ルールである規定を改変することは間違いないと思っています。

 弁護士が自分の選択で不幸になるのは自業自得ですから致し方ありませんが、そのために一般市民が不幸になるのが悔しく、もどかしいばかりです。

 

 
  
 

 

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