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法科大学院制度下の学歴主義の問題

2011.03.24

 

 法科大学院と就職難のために、法曹における学歴差別がより先鋭化されてしまいました。

 例えば、昔は、司法試験に合格すれば、本人の希望で、裁判官・検察官・弁護士になることがある程度自由に選択できました。
 しかし、今では、給与・退職金・年金等安定した経済的地位の得られる裁判官や検察官には、本人が希望してもなれません。裁判官や検察官になれるのは、有名大学や法科大学院を優秀な成績で卒業し、若くして司法試験に上位合格し、かつ、司法研修所でも優秀な成績を収めることのできた人だけです。

 弁護士として就職できるためにも、同じようなことが言えます。司法改革が始まるまでは、司法試験に合格していれば、最低限の基礎的法律知識があるとの信頼が持てるとされていました。ところが、現在では、そのような信頼がもてないとされ、そのために、弁護士としての採否についても、どこの大学や法科大学院を卒業したのか、大学や大学院での成績、司法試験の成績、あるいは、年齢等で決める傾向が強くなってきました。

 副次的効果として、最近の法曹は、これまで以上にも増して上の人に従順な人が増えていると言われています。
 勿論人は見かけによりませんので、実際には違うかもしれません。
 しかし、もし、このような副次的効果と言われるものが本当だとしたら、これは由々しき問題だと思います。

 検察庁はもともと上命下服の組織ですが、基本的には社会正義に対する信念に基づいて職務を遂行すべき職業です。裁判官は、「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と憲法に規定されている職業です。そして、弁護士は、時に公権力にも対峙する反骨精神を備えていなければなりません。そのために弁護士は監督官庁を持たずに自ら規律する権限、すなわち、弁護士自治が認められているのですから。
 
 私は、学歴主義が全て悪いとは言いません。
 しかしながら、法曹は、時として大勢に逆らってでも、社会正義や人権擁護といった自己の信念に基づいて行動することが求められる、上の者に従順である必要はなく、教授の顔色や内申書など気にせず結果さえ出せばよいのであって、学歴主義の弊害からはもっとも遠い存在であってもよい職業だと思います。
 
 このことは、見えにくい司法改革の悪弊ですが、本来は、きわめて本質的で重要な問題であると思います。

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