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閉鎖的な法曹養成とは?

2017.08.23

 

 法科大学院協会の理事長メッセージ(http://www.lskyokai.jp/about.html)では、「司法修習とともに旧制度の中核をなしていた旧司法試験は、受験資格において開かれたものではありましたが、極端に低い合格率の観点からいえば、きわめて閉鎖的な性格を持っていました。また、司法試験の受験資格におけるオープンさと密接に関わりますが、旧司法試験は組織だった法曹養成教育を前提にしたものではありませんでした。このような旧司法試験を柱とした法曹養成制度によっては、司法の「人的基盤の拡充」のために必要な質・量ともに豊かな法曹を産み出すことはできないとの考えから法科大学院が構想され、2004年に開学しました」と書かれています。

 受験資格において開かれていたが「極端に低い合格率から閉鎖的な性格を持っていた」旧司法試験に対して、必要な質量を豊かにするために法科大学院制度ができたのだそうです。
  
 「閉鎖的」と「開放的」という言葉を比較すると「閉鎖的」はマイナスで悪いイメージ、「開放的」というと明るくてプラスのイメージ等といった印象を受けます。

 そして、「開放的」というと敷居が低くて皆が集まりやすい印象もあります。

 しかし、実際には、法曹志願者の動向は真逆の方向で動いているようです。
 すなわち、司法改革以前は、司法試験受験者数は、右肩上がりで増えていました。
 ところが、司法改革以後は、法科大学院志願者及び入学者は減り続け、74校あった法科大学院は半数以上が募集停止しました。法学部の教育は空洞化し、偏差値も急激に落ちました。やっとの思いで法曹になっても登録抹消者が後を絶ちません。

 法曹志願者は減る一方です。

 理事長メッセージでもこのようなことは多少触れられてはいますが、実際の制度破綻の程度は、理事長メッセージの内容からうかがい知れるものとは程遠いものです。

 前川前文部事務次官からは、「大学は、簡単に作ったり、潰したりできない。その失敗例が法科大学院である。」とまで言われる始末です。http://blog.livedoor.jp/schulze/archives/52193509.html

 制度改正から15年も経たないうちにここまで失敗が明確になった制度は珍しいのではないでしょうか。
 
 無理に法曹の魅力など発信して誘因しなくても司法改革前は、法曹志願者が増える一方だったのに、司法改革で一変しました。

  ところが、残念ながら、司法改革推進論者や法科大学院関係者からは、制度破綻に対する反省や責任感はみじんも感じられません。
 
 それどころか、閉鎖的あるいは開放的などといった印象操作で事実や理論に基づかない喧伝を行うというのはいかがなものでしょうか。


  
 

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