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司法シンポ「法曹養成分科会」

2010.09.12

 

 昨日は、日弁連の2階クレオで行われた司法シンポの「法曹養成分科会」に参加するために朝早くから東京に来ていました。
 一日参加する予定だったのですが、午前中の発表を見て午後のシンポに参加する気を失い、午後は、ホテルでの休息の時間に急遽変更することにしました。

 たまたま知人もそのシンポに来ており、シンポが始まる前に「このようなシンポに出ても辛いんじゃないですか。どうせ自画自賛するだけでしょう。」と言われましたが、見事に的中したというわけです。

 辛いのは、内容的に「自画自賛」シンポだからというだけでなく、あまり意味のない発表が異常な早口で進むものですから、ダブルで聞く気を失いました。

 例えば、午前中の前半は、どこそこの法科大学院はどのような授業をしている、ここの法科大学院ではこういった授業をしているという紹介が延々と続き、まるで法科大学院のキャンパスライフの宣伝ビデオを早送りで見せられているようでした。紹介された授業が珍しい授業なのか否か、どこがどのように特徴的なのかといったことも聞いているほうにはわかりません。
 普通、このような発表には、紹介はある程度で繰り上げて、全体としてどのような傾向があるとか、問題点はどういうところにあるとか、良い部分はここであるといった検討結果や評価が述べられるのですが、それも全くありませんでした。ただただ法科大学院の授業の紹介が続くだけでした。

 また、午後の後半部分は、法科大学院を卒業し弁護士になった人達のパネルディスカッションなのですが、これもパネリストが多い割りに時間がないために、総じて上滑りの尻切れトンボでした。

 私も日弁連の人権大会のシンポジウムで数百人の弁護士を前に発表したことがあるのですが、「発表は中身を厳選して、普通に会話をするときよりも異常と思えるくらいにゆっくりと話すように」との厳しい指導が入り、発表原稿の字数を泣く泣く大幅に減らし、一言一言を大事にして抑揚などにも気をつけながら発表しました。

 「同じ内容でも発表の仕方により聴衆に訴えかけるアピール度が全く違う」「訴える内容も重要だが、訴えかける表現方法も大事なのだ。」ということをシンポの「プロ」のような弁護士から徹底的に叩き込まれました。
 その時の経験は、後の裁判員裁判での弁護活動にも大いに役立ちました。

 昨日のシンポでは、シンポの「プロ」の指導が間違っていなかったことを反面教師的に検証することができました。その意味では、参加した意味があったと思います。
 それに、午後は、久々に休養の時間も取れましたし、無駄ではなかったと思います。

 人は、自分の費やした時間や労力等を無駄にしたとは思いたくないものです。

 何年という膨大な時間をかけ、或は、仕事も辞めて、1000万円近いお金を費やしたとなれば益々その思いは強くなるでしょう。

 法科大学院卒の弁護士に「法科大学院制度は無駄だった。」と言わせるのは、酷というものです。





 
  

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